フェイクニュースの対策はリテラシーを上げることではない

フェイクニュースという言葉をご存じだろうか。ネットが伝える情報のチカラ。テレビやラジオの時代、情報は形として見えないし手元に残らない。目と耳の記憶のみ。曖昧で形がないものだからウワサ話などは、そこまで拡散はしなかった。事実かどうか判断できない不安定なものだからだ。それが文字や動画という形ある情報(コンテンツ)となったときに不完全で形が無かった情報が見える形になった。人は形が見える具現化したものには恐れがない。形ある情報は真実と思い込む。その情報が本当かどうか追求もしない。読んだ、見た、その形があるコンテンツが面白そうなタイトルだったり内容だとしたら友人に知らせようとシェアする。このようにして真偽がわからない情報やニュースは世界に拡散される。その容易さがフェイクニュースを生み、ネット情報に依存している現代人はそのフェイクニュースに扇動させられてしまう。

海外のフェイクニュースの事例

フェイスニュース

最近で最も話題になったフェイクニュースはアメリカ大統領選挙だろう。「ローマ法王がトランプ氏を支持した」、「ヒラリー・クリントンはテロ組織に武器を売った」など。当たり前だがこれは捏造(ねつぞう)であり、フェイクである。しかしSNS上で流れたこの一連のニュースはアメリカ国民に大きく影響を与えたと言われている。このフェイクニュースを流した目的は対立候補者を蹴落とし、国民を扇動するためだと思いきや、実は記事の拡散による広告収入が目的だと言われている。そこには国の未来をゆだねる大統領選挙に対しての情熱があるわけでもなく、ただ個人が自分の利益のためにだけに捏造して書いたものなのだ。この犯人はフェイクニュースでわずかな間に700万ちかく稼いだという。

フランスでも同じように選挙戦でフェイクニュースが多発した。「マクロン候補、サウジアラビアから資金援助をもらう」、「アルカイダがマクロン候補を支持」など。やはりこちらもよく考えればありえない内容だが、ネットでの拡散数は跳ね上がった。こちらも同様に広告収入が目的だった。

日本のフェイクニュースの事例

フェイクニュース

フェイクニュースは日本でも同じように起きた。日本もまた選挙中のことである。ある立候補者が浮気をしているとフェイクニュースが流れた。その地域のSNSではもちろん拡散されて、当然その立候補は落選となった。また芸能ニュースでも西田敏行さんの薬物使用疑惑のフェイクニュースが流れ連日メディアで報道されたり、スマイリー菊地さんの場合は、ある犯罪に関わったとフェイクニュースが流れてしまい、テレビから消えた。

最近で忘れてはいけない事件が熊本地震でおきたフェイクニュースだ。「地震により動物園からライオンが逃げた」とツイートした男の話だ。地震により家も崩壊してたくさんの人が困り果てている時に、フェイクニュースを流した、許せない話だ。もちろん犯人は偽計業務妨害の疑いで逮捕された。犯人は神奈川県に住む21歳の男だった。

こうしてみると日本のフェイクニュースは愉快犯、つまりそのフェイクニュースで世の中の人が慌てふためいていることが楽しくて捏造をしている人が多く感じる。

フェイクニュースに対策を始めはじめた

フェイクニュース

このようなフェイクニュースに世界は対応し始めている。

アメリカではフェイクニュースを拡散する土台を作ってしまったプラットフォームに対策案が求められた。グーグルは信憑性の薄いフェイクニュースの特徴に近いサイトは広告を外したり、検索結果から除外し始めた。Facebookはニュースの真意をチェックする外部機関を設けて警告を表示する開発を進めていたり、Twitterは信頼度が低い捏造されている可能性があるツイートに関してユーザーが報告出来るシステムを開発している。ドイツではネットサービスを行う企業に対してフェイクニュースの投稿削除を義務付けて違反した場合は最大60億円の罰金を科す法案が生まれた。イギリス・フランスのパブリッシャーは協力して第3機関を使いクロスチェックすることによりフェイクニュースの拡散を防止している。

フェイクニュースは我々がリテラシーを上げることで対策出来る

フェイクニュース

世界はフェイクニュースに対していろいろと規制を掛け始めた。しかし、その規制や法を抜けてまた繰り返されるだろう。終わることのないイタチごっこだ。本質的なことは人々がそのフェイクニュースに扇動されてしまうことにある。文頭にも書いたが形が無いウワサ話は人から人へ伝わるチカラが弱かった。だがネットの中のコンテンツとなった場合の拡散はボタンをツータッチすれば世界中に拡散することが出来てしまう。どこかの権威ある学者の長年の研究の発表のような確実性のあるものでもない、誰かのたわいもない情報発信はコンテンツとなった今、必然的に信用度を勝ち取る。だからこそ流れてくるニュースが信頼できるものなのか、信頼できる人の発信なのか、ただのウワサ話なのか、自分たちで判断できるようにならないといけない。フェイクニュースは我々がリテラシーを上げることで対策するしかないのだから。

フェイクニュースに対するリテラシーはどう養えばいいのか?

フェイクニュース

簡単にリテラシーを上げると言ってもそう容易いことではない。我々は日々、仕事をしていたり、勉学に励んでいる。その合間をクールダウンとしてインターネットを閲覧しているのだ。いわゆる娯楽である。自らの娯楽のためにリテラシーを学ぶなんて、こんな滑稽なことはない。ではどのようにしてリテラシーを上げればいいのか、それは不可能であると私は思う。世界中でインターネットは使われていて、1秒単位でインターネットの世界は進化している。Webに精通している者でさえ、常に新しい知識を入れていかないとついていけない世界である。それを我々、一般の社会人が常に教養を得るには時間的にかなりキツイものがある。不可能ではないかもしれないが我々はインターネットの世界の知識に重きをおいて生きてはいない。では我々はどのようにして、インターネットの中の世界を信用すればいいのか。一番効果的なのはインターネットの中の誰かのファンになることだと考える。ニュースサイトや評論家、Webリテラシーが高い賢人など自らのパーソナリティーを出して自分の考えを発信している人がいる。そういう人たちの意見を日ごろから読むことだろう。その意見に自分の考えが寄り添える人が見つかるならば、Webリテラシーは彼らに任せようではないか。パーソナリティーを出して発信している彼らに自分を投影できるならば、リテラシーを上げるための教養の時間を人生の時間を削ってまであてなくても済むはずだから。つまりこれからはパーソナリティーをしっかり持っている人間がとても大事になり、また自分自身もパーソナリティーをしっかり持たないと投影できない。ながれ主義、流されて自分の意志や考えを持たない者こそがこれからは一番危険な時代になる。意見を持たない者は膨大に溢れるこの情報社会ですべて飲み込んでしまい溺れ死んでしまうからだ。