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性差の壁やジェンダーの炎上を作り出したインターネット

インターネットの発達によって価値観は多様化した。

インターネットの普及により、価値観は多様化した。
会ったこともない、見たこともない遠くにいる知らない誰かとインターネットを通じれば意見を交わすことが出来るようになった。

これにより今まで「常識」だと思っていた価値観がすこしずつ壊されている。インターネットの普及前は自分の意見が周りのみんなと違うと「自分の価値観はおかしいのか?」と疑い、考えを合わせることが正解だと思い込んでいた。
しかしネット上にいる知らない誰かとの交流によって、自分と同じような価値観を持つ人に出会い、意見は様々で良いと気づき、我々は価値観を枝葉のように広げていった。

ステレオタイプの発信に独自の意見を発信

インターネットが浸透したことでさまざまな意見が発信しやすくなった。
今まではテレビやラジオや新聞といった一方通行であった情報に対して、我々もなんらかの意見を世の中に返すことが出来るようになった。

特に自分の価値観を確立しやすくなってきたことで「〇〇であるべき」という、いわゆるステレオタイプに対して反対意見が言いやすくなってきた。
こうなったことで特に議論が活発化してきたのがジェンダー論に関することだ。
固定観念や性に関することに対して意見を述べることは反発をうけやすくなってきた。

ジェンダーとは

社会的・文化的に形成された性のこと。男性的・女性的・男らしさ・女らしさ。想像的な識別。
(対象的に生物学的な性、身体的な特徴などの性差はセックスと呼ぶ。)
出産は生物学的に女性が行うもの(身体的に男性では不可能)だが、育児は男性でも女性でも出来るので「育児は女性が行うもの」という意見はジェンダー論となる。

海外では男性は「青」女性は「ピンク」でジェンダー論が炎上

海外では特にジェンダー論に対して敏感であると感じた一例がある。
海外のとある料理番組の宣伝資料の写真が物議を生んだ。その番組の宣伝資料に男性と女性がクリームの入った容器をもっているといった写真なのだがその容器に入ったクリームの色は男性が「青」、

女性が「ピンク」であった。この色は男性は青で女性はピンクであるべきという風に視聴者はとらえられ、番組に対してクレームが入ったのだ。
いわゆるジェンダー論だ。この番組はすぐに対応し、他の資料では男性女性、そして人種や年齢に関わらないゲストの写真などを載せるなどしていた。
海外では特にこの手の話題に対して敏感だ。

日本でも男性や女性への性差別が炎上

では日本の場合はどうであろうか?日本でもこういった性的表現に対して反発されやすくなってきている。

最近であげられるのはとある飲料会社のCMだ。出張先の飲み屋で女性がお酒の感想を言う場面でのセリフが問題となった。
お酒の味を述べるシーンなのだが、そのセリフが方言を使って話すと性的に近い発言になり、女性を性的な対象としてしか見ていないとしてネット上で炎上し、すぐに公開を中止されたのだ。

こういった性差に関して炎上した例は何も女性に関してだけではない。
今では男性に対しての表現においても非常に敏感になってきている。

とある消臭剤に関するCMだ。このCMの内容は男性が一人でエレベーターに乗っていたが、その後、エレベーターに女性が多く乗ってきて男性を取り囲み、男性の臭いをかぐといったものだ。男性への匂いの注意喚起を促したものだったが、「男性は臭いものである」と断じており男性差別だ、という意見が挙げられ、批判されていた。

その他では『忙しくて時間がない、働くママを応援!』なども、家事は女性の分担という暗黙の共通理解を発信していると炎上した。
海外のみならず日本でも今後こういった例が出てきており、今後もジェンダーに関する炎上事例は増えてくると予想される。

情報発信は常にジェンダーに注意を払うことが大切

このように今の時代、性的な表現やステレオタイプな意見は炎上を免れなくなってきている。
これはひとえにインターネットの普及により、多様な価値観が表に出てきている今、「〇〇であるべき」という意見は反発を受けやすい。

旧来の価値観で情報発信をすれば、それこそあの企業は差別的な企業であるというイメージを持たれるかもしれない。

しかし逆に炎上を防ぐために情報発信を控えれば、数多くの企業の一つとして埋もれてしまうだけだ。またジェンダーに配慮するあまり、無難なものを打ち出すだけでははっきり行って意味がない。
話題になり、かつ企業にとって良いイメージを与えるというギリギリのラインを攻めなければならないのが今の企業の辛いところである。

この微妙なラインをつかむには企業側が絶えず消費者へのアンテナが必要である。

インターネットがジェンダー論を炎上させた

ステレオタイプの時代から現代は少数意見でも弱気にならずに発信できるようになったことは良い事だ。
インターネットの普及は人びとの気持ちや感情を豊かにしたと言って良いだろう。

しかし、やはりステレオタイプの「○○はこうあるべき」という意見は時として必要ではないかと思う。
「女性はこうあるべき」「男は男らしく」と発信することが悪ならば、いつから日本は意志や思想の統制を求める国になったのだろうという気持ちになる。

日本は海外には稀に見る多宗教が入れ乱れている。それでも賛否両論、どれも尊重され、自由な発信や発言が論議がされていたのに、ジェンダー論によって、性差別だ、偏見だ、気づかいのない悪だ!などと決めつけて異論を潰すような世界になれば民主主義国家からは、かけ離れた国になってしまうんではなかろうか。
インターネットが意志表明を豊かにしたけれど、少数だった意見は増幅されて炎上していく模様を見た時に、我々はインターネットの使い方を考えなければならない時が来たのかもしれないと思う。